幸せへの
道標
ずっとずっと大昔より、すべての人が求め続けているもの。
それは、いったいなんでしょう。
学校に行く。
職業につく。
結婚する。
家を建てる。
成功というものを求める。
金持ちになる。
有名になる。
起業する。
美しくなる。
痩せる。
スマートになる。
アンチエイジングする。
美味しいものを食べる。
違う場所(旅行等)に行く。
私たちはこのようなことを行ったり、
また、行おうと努力したり、
夢や願望、目標にしたりしています。
そして、それが当然のことのように思っています。
しかし、では、それらを“なぜ”行おうとするのでしょうか?
ここに書き出したすべての項目に“なぜ?”とつけてみましょう。
そして、ひとつひとつその答えは探ってみてください。
そこに、私たちがずっと求め続けているものがあるはず。
もちろん、ひとつひとつの答えは微妙に違ってくるでしょう。
さて、、、
あなたの中にはどのような答えが現れてきたでしょう?
“自分”を表現したい、
“自分”を認めて欲しい、
“自分”が優れていると思いたい(思われたい)
このようなことが、あなたの中から出てくるのではないでしょうか?
つまり、“自分”。
では、なぜ“自分”を表現したいのでしょう、
認めて欲しいのでしょう、
優れていると思いたい(思われたい)のでしょう。
その、根っ子にあるのはなんでしょう?
それは、、、
あなたの中に常に“幸せ”を求める声があるからです。
幸せになるために、
“自分”を表したい、
認められたい、優れていると思いたい(思われたい)。
すべての人は常に“幸せ”を求めている。
常にそれを求める声が、内側でささやかれている。
では、“幸せ”とはなんでしょう?
幸せに対する定義は人それぞれ違う、というかもしれません。
だとしたら、それは絶対的な幸せとは言えないですね。
普遍的な幸せとは言えないです。
ちなみに幸せという言葉はどんな時に使われるのでしょう。
「美味しいもの食べられて幸せ」
「素適な洋服が買えて(着られて)幸せ」
「楽しい仲間といられて(出会えて)幸せ」
「素晴らしい家族と過ごせて幸せ」
「臨時収入が入って幸せ」
「宝くじに当たって幸せ」
こんな時に使うのではないでしょうか。
でも、このような時に使う“幸せ”が絶対的な“幸せ”、
普遍的な幸せなのでしょうか。
絶対的、普遍的とは、どんなことがあっても、
どんな状態でも、永久に変わらないということです。
だとしたら、このような幸せは絶対的、普遍的ではありません。
つまり、、、
美味しいものを食べられなかったら“不幸せ”になる。
素適な洋服を買うことが(着られること)ができなかったら“不幸せ”になる。
楽しい仲間といられなかったら(出会えなかったら)“不幸せ”になる。
素晴らしい家族と過ごせなかったら“不幸せ”になる。
臨時収入が入らなかったら“不幸せ”になる。
宝くじに当たらなかったら“不幸せ”になる。
ということになります。
ほとんどの人がそのような世界にいます。
つまり、“何か”がないと幸せになれない世界。
何かを手に入れないと幸せになれない世界。
何かを持たないと幸せになれない世界。
常に外に何かを求める世界の住人なっているのです。
そこは、絶対的、普遍的な幸せのある世界ではないのです。
このような幸せは実は“想い”にすぎないのです。
もしくは、それはただの“快楽”にすぎないのです。
それらは五感と心(思考)を介して感じるものです。
だから、ほんの短い間しかそれを感じることはできません。
五感そして思考は、常に変化し続けます。
常に外に影響を受け続けます。
だから、それは妄想、幻想と言っていいでしょう。
ブッダもイエスもそのように言っています。
想いはただの想いにすぎません。
妄想は妄想です。
幻想は幻想です。
だから、それにしがみつけばつくほど裏切られる。
振り回される。
そして、苦しめられる。
なぜなら、それらは妄想、幻想だからです。
では、絶対的な幸せというのはなんでしょう?
しかし、それを言葉で表すことはできません。
なぜなら言葉がつくことで、
固定されるからです。
固定されるほど、絶対的な幸せというものは小さくないし、
そして、固まってしまうものでもありません。
だから、それを知った人たちは言葉にすることに躊躇するのです。
そして、あえて、、
“至福”
“大歓喜”
“無上の喜び”
などという言葉で表現しています。
幸せとか、嬉しいとか、気持ちいい、、などというものではありません。
はるかに深く、はるかに喜びに満ちあふれてるものです。
そして、それは絶えることなくあふれ続けるものなのです。
快楽などと違って、泡みたいにすぐ消えるものではないのです。
“至福”には“幸せ“も“不幸せ”も存在しません。
ただ静かで穏やかで平和そのもの。
安心そのもの。
対立する概念が一切ないのです。
では、至福、大歓喜などと呼ばれる世界には、
どうやったら入れるのでしょう。
そのために、まず、理解しなければならないことがあります。
それは、、、
その世界は外にあるのではなく、
五感や心の暴走する影響下から外れることで現れるもの、
だということです。
そして、次に理解しなければならないことは、、
外から何かを手に入れること、
何かを持つということ、
という欲望や執着から抜け出すことです。
さらに言えば、、、
というか、、、
ここのところがとても大切ですが、
あなたの内側に深く深く入っていくこと、
“私”という糸をどんどんたぐり寄せて行くことを行うのです。
その糸の始まりはいったいなんなのでしょう?
やってみられると分かりますが、
その糸をたどる旅はとても楽しいです。
おそらく、これまでに味わったことのない楽しみでしょう。
素適な洋服を着る幸せなどといった快楽は、
色あせてくすんで見えるでしょう。
そして、たどればたどるほど、たぐればたぐるほど、
その楽しみは深まっていくのです。
そして、その始まりにたどり着いた時、
つまり源泉に還った時、
あなたは経験するのです。
そして、“知る”のです。
理解するのです。
至福という世界が在ることを。
そして、それは自分の中に常に在ったことを。
いついかなる時にも在ったことを。
だからこそ普遍であり、
絶対であったことを。
いかがでしょうか?
今回は「幸せへの道標」というテーマで、
このようなことを書いてみました。
絶対的な幸せ、
普遍の幸せ、
至福、、、
あなたはどのように思われたでしょうか?
「そんなものはない」
という方もいるでしょう。
「そんなものはない」
のであれば、そんなものは現れないでしょう。
そのような方は、
いわゆる快楽の世界にこのまま住まれればいいでしょう。
快楽を追い続ければいいでしょう。
しかし、、、
「そんな世界の中で生きたい」
「その世界に行きたい」
「そんな世界があるような気がする」
と思われる方もいるでしょう。
そんな方には、必ずその世界は現れます。
ちなみに誤解ないように伝えておきますが、
その世界はつかみ取るものではありません。
また、つかみ取ることなど絶対できないものです。
現れるものです。
そして、それには“いつ”というものもありません。
ただ、ある道を一歩一歩、じっくり味わいながら歩き続けることなのです。
ですから、地味といえるでしょう。
でもその道は滋味です。
派手さもないでしょう。
凄いことをしていると、まわりから思われることもないでしょう。
現代の人はとにかくせっかちです。
そして、慌てることがくせになっています。
ですから、慌て者には向かない道とも言えるでしょう。
慌て者の方は、快楽の道を味わいつくしたらいいでしょう。
快と苦の世界を味わいつくしたらいいでしょう。
そしたら、分かります。
快楽というものがどのようなものか。
その世界が本当に価値あるものなのかどうか、ということが。
そうなって初めて至福への道を歩めばいいでしょう。
でも、もしあなたが今すぐにでも「至福への道」を歩もうとするのなら、
その道に導くことができます。
その道はひとつしかありません。
道つまり原理はひとつしかありません。
なぜなら、その原理を解明した偉大な人々は、
根本的に同じことを説き続けているからです。
だから私たちは、その原理に添うことをすればいいのです。
そのためには、まず、その原理とは何かを学ばなければなりません。
そして、その原理に添って“行為”し続けるのです。
一歩一歩その道を歩み続けるのです。
もし、あなたがその道を歩む決意をされるのであれば、
その道に導くためのカリキュラム(行法)があります。
このカリキュラムの土台となっているものは、
東洋の叡智です。
特にブッディズム、禅、ラージャ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガ、
そしてカルマ・ヨーガといったものがその土台にあります。
これらはすべて人間の“解放”を目的とし、
そして、それを具体的に体系化したものです。
ある意味それはとても科学的とも言えるでしょう。
ちなみに、、、
ここで言うヨーガは“解脱”を意味するものです。
最近よくみられるヨガとはまるで違います。
このようなヨガはヨーガと逆行していると言えるでしょう。
解脱ではなく“囚われ”を強化しているようです。
悪果をもたらす“煩悩”を生み出しているとも言えるようです。
あなたの“解放”こそが、絶対的な幸せ、
至福の世界の扉を開ける鍵なのです。
そのように確立され、体系化され、そして立証されてきたものが
このカリキュラムの背景にあります。
現在行ってきているカリキュラムは、
次のようなものになります。
「至福への道」「解放へ道」を探究していくものです。
☆「パーソナル高次元意識進化プログラム」〜空(くう)意識という至福への道
☆「スピークパフォーマー1dayトレーニング」〜空(くう)の言葉による解放への道
☆「I(アイ)ブランディング1dayトレーニング」〜マーヤ(妄想、幻想)の世界を抜ける解放への道
☆「セルフハートフルアップ1dayトレーニング」〜慈悲心を体感することで得られる解放への道
☆「ザ・セッション」体験版〜至福・解放への扉に気づく
☆「真の自由へのアシュラム(道場)」〜至福・解放とつながる場
これからもさらに精進し、
より進化、そして深化したものを体験していただければと思います。
絶対的な幸せ、
普遍の幸せ、
平安、平和、
至福、、、
このような世界につながる道を歩もうとする方には、
このカリキュラムは“灯明”となるでしょう。
あなたは決してひとりではありません。
共に歩んでくださる存在が常に、
あなたの傍らにいらっしゃいます。
だから、安心して歩んで行きましょう。
共に歩んでいきましょう。
すべてのものが幸せでありますように。