・ブッダの悟った法・真理(ダンマ)に添ったセッション(対話)です。
・ですから、人生(生き方)が正しい方向に必ず向かっていきます。
・日本においてこれまで知ることができなかった、ブッダ直接の教えによるものです。
・不幸にならない具体的な方法を知ることができます。

・憂い、悲しみ、悩み、落ち込み、苦しみなどの“根本的”な解決に向かいます。
​・こころのすべてを解明し尽くしたブッダのこころの修習法を学べます。
・“慈しみ”という大きな優しいこころを育てることができるようになります。
・真底明るい人生を歩むことができるようになります。
・真の人生の勝者・成功者になることができます。
​・生きる正しい意欲が身につきます。
​・西洋心理学(他の教え)とはその質と目的が根本的に違います。

消えることのない幸福への道

このセッションはブッダの説いた教え(法・真理)に添ったものとなっています。

ブッダの法・真理のことをダンマ(Dhamma)と呼びます。

ダンマ(法・真理)に添うことになりますので、誤った方向に向かうことはありません。
 

​それがこのダンマ・セッション(Dhamma Session)です。

   
ブッダのテーマは「“苦”」です。
“苦”がテーマでした。
     

ちなみに“苦”と“苦しみ”とは違います。
Dukkha(ドゥッカ)というパーリ語の日本語(漢字)訳が“苦”とされています。

ですから、普通の概念からいったら“苦しみ”という感覚だと思ってしまうでしょう。


“苦しみ”というのはどんな生命にとっても嫌のことです。
それを最初に正面切って言われてしまうと、逃げたくなりますし、引いてしまいます。


でも、ブッダはそのことを知っていて“苦”を最初に説くのです。
それだけ、大切なことなのです

 
なぜ、そのようなことをするのでしょう。
 
それは、“苦Dukkha”を本当に理解することができると、消えることのない幸福を手に入れることができるからです。

 

「大いなる安寧・平和」の門を開いてくれる“鍵”となるからです。

“苦Dukkha”を避けずに理解することは、本当は宝なのです。
 
暗いものではなく、真底明るいものです。
濁りのない、純粋な輝きにあふれているものです。
 

ですから、「“苦Dukkha”という聖なる真理」と呼ばれるのです。
“苦”は聖なる真理なのです。

 

聖なる事実なのです。
苦しみといった感覚レベルだけを意味するものでは、ありません。


世間で言う明るさには影があります。

暗さがあります。
真底明るくありません。

“苦Dukkha”を理解していないから、当然です。
こころの根っ子がスッキリしていないのですね。
   
聖なる事実Dukkhaを理解すること
この聖なる事実をありのままに理解すること、それが悟りです。

ですから、“苦Dukkha”を理解することは、とても重要なことです。

       

パーリ語はブッダがよく使われていたと言われる言語です。
その言語で記された経典『パーリ三蔵』が一番最古の仏典です。
つまり、ブッダの直接の教えに一番近い経典です。

ですからパーリという言葉の意味には聖典という意味も含まれます。

仏教というと漢字、梵字、サンスクリット語のイメージが強いですが、そうではありません。

しかし、残念ながらこのようなブッダの直接の教え(悟った真理・ダンマ)を学ぶ機会はほとんどありません。


実はそれだけまだ知られていないのです。
ブッダと言えば仏教ですが、私たちが知っている目に触れている、いわゆる仏教とは違います。

まだ日本で知られていないブッダの直接の教え

このセッションでは、ブッダが“直接”語った教えを、変えることなく、忠実に2500年以上の間守り続け続けている仏教(初期仏教)がベースになっています。
 
初期仏教は原始仏教、根本仏教と呼ばれるように最も古いもので、一番ブッダの生の声に近いものです。
    

しかし、日本にこのような仏教が根付き始めているのはここ数十年のことです。
明治初期に一度そのような動きはあったのですが、残念ながら消えてしまいました。
    
私たちが認識している仏教は大乗仏教というもので、ブッダ入滅後1000年近くたった頃に確立されたものです。
 

ですから、ブッダの生の声を大きく変えてしまったものと言えるでしょう。

あまりにも身近なものではなくなってしまったのです。
 
ファンタジー、抽象論、壮大な宇宙論になってしまってる感があります。

遠い概念の世界のものになってしまっています。

  
私たちは身近な様々な問題に興味があり、それをどうにかしたいと右往左往しています。


ブッダは奴隷階級の人びとや、国王、祭祀といった高い身分の人びとまで分け隔てなく説法しました。
 

ブッダ・セッション(対話)のエッセンスが経典

そして、様々な人びとの質問、疑問に対して明確にしっかりと正しく答えるのです。

そのような市井の様々な質問に対する答え、つまり教えがそもそも仏教の始まりなのです。

質問に対するブッダの答え、それが経典となり仏教と呼ばれるようになるのです。
まさしくブッダ・セッション(対話)のエッセンスをまとめあげたのが仏教経典です。

 ​

ですから、ブッダの教え(仏教)はそもそも身近な具体的なものです。

 

そんな、身近な問題の“根っ子”からの解決を可能にしてくれるのが、初期仏教です。
対症療法的な表面的なアプローチではありません。
根治させることをするのです。
        
とても具体的で論理的で誰にでも理解できる教えです。
それがブッダの生の声なので当然です。
高尚な哲学的な活字ではありません。

“苦Dukkha”は自然の法則、宇宙の法則

ブッダの発見した聖なる事実“苦Dukkha”は自然の法則、宇宙の法則のことです。
その意味するところを大雑把に言ってしまえば「不安定」となるでしょう。

一切の現象、森羅万象は常に変化生滅を繰り返し、流れ続けている。
つまり、安定することなど一瞬たりともない。

「不安定」なのです。

 

不安定だからこそ“苦”なのです。 

私たち人間の感情のレベルで分かりやすく喩えれば、不安定に対して私たちの“苦しみ”が生まれるのです。
 
私たちが老いるのは自然の流れです。​

不安定(“苦Dukkha”)だから流れるのです。

それは当然のことですし、誰も逆らうことなどできません。
  
しかし、その流れに私たちは逆らおうとするのです。

でも、逆らっても勝つことなどできません。
 

だから、苦しむのです。

不安定(“苦Dukkha”)という自然の法則に逆らったのです。

そこにズレ・ストレスが生じます。
当然私たちの身心にその影響は現れます。
 
それが“苦しい”という感覚となって現れるのです。

 

「老いたくない。こんなシワ嫌だ。若いときに戻りたい。若い人がうらやましい、、」

などと苦しむのです。

 

しかし、どうしようもありません。
それが自然の法則(不安定・苦Dukkha)です。
    
病気にだってなりたくありません。

「病気になりたくない。病気になったらどうしょう。病気は怖い、、」

などと悩みます。

でも、どんなに細心の注意をはらって暮らしても病気になるでしょう。

病気になったらなったで、、

 

「なんで私が病気になったのだろう。あんなに注意していたのに。あの人のせいで病気になったんだ。この不快な気持ちはとても嫌だ。なんとかしてくれ、、、」

などと、不満、愚痴、悪口、後悔といった感情で苦しむのです。

  

このようなことを、私たち人間はずっと繰り返し続けているのです。

自然の法則つまり不安定・苦Dukkhaに逆らい続けているのです。

いつまでたっても“苦しい”はずです。

私たち生命の身体も、様々な因縁により変化生滅を繰り返し流れ続けているのです。

それは、自然の法則に素直に添っているだけのことなのです。
 
老いるのも、病になるのも、自然の流れです。

  

しかし、私たちはどうしてもその流れに逆らおうとするのですね。
そこに生まれるのは“苦しみ”しかないのですが、、、
なぜでしょう?

 

苦しみを滅ぼしたい  

ブッダは、そんな人間の無智・愚かさから生まれる“苦しみ”をなんとかして滅ぼしたかったのです。

それができれば、いつどんなことがあっても安穏・平和でいられるからです。
 
ブッダはそもそも釈迦国の王子でした。
ですから、望むものなんでも手に入れることができたでしょう。

寒かったら、暖かいところに移動できるし、
美味しい食べものやお酒が欲しかったら、それも調達できるし、
歌舞音曲なども好みのまま選べるだろうし、
ハーレムも可能だろうし、、、
    
私たち一般人が望む“幸福”はすべて享受できたでしょう。
 
しかし、彼ゴータマ・シッダッタ王子(ブッダ)は憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、落ち込んでいたのです。

 

そして、とうとう出家するのです。
 
奥様もいました、ラーフラという子供いました、父母もいました。
そこからも離れることを決意するのです。

   
そればかりではありません。
   
国、そして民とも離れることをするのです。

軽い気持ちでこれだけの決断はできません。
よほどのことがないかぎり、このようなことはできません。
    
ゴータマ・シッダッタ王子はとてつもなく苦しんでいたのでしょう。
その“苦しみ”をどんなことをしても滅ぼしたかったのです。
ゴータマ王子はとても負けず嫌いなのです。
決めたことはやり抜く、という性格なのです。
      
このような決意のもと家族から離れ、国から離れ、独り修行の道へ入るのです。
   
そして、当時インドにあった様々な修行法を試してみます。
しかも、その試し方は尋常ではありませんでした。
性格が性格ですから徹底的にやるのです。
 
修行指導者たちも、それをみて感動してしまいます。
それほど徹底的にやったのです。


苦行はすべて役にたたない 
しかし、これらの修行法では決して真理を発見することはできないと理解するのです。
当時修行というと苦行がほとんどでした。
   
「真理に達するための苦行なるものは、すべてためにならないもの、、、陸地に乗り上げた船の舵(かじ)や艪(ろ)のように全く役に立たぬものである」

 

とブッダは苦行の無意味さを説いています。
    
つまり、苦行でゴータマ・シッダッタが求めた「“苦しみ”を滅ぼす」ことはできないと理解するのです。
  
その後ブッダは、苦行を捨て、他を頼らず、自分で理解した方法を修行して、真理を発見するのです。
悟ったのです。


悟りに至る道  
ブッダはこのように説いています。
「さとりに至る道、、、戒めと、精神統一と、智慧とを修めて、わたしは最高の清浄に達した」
 
戒め、精神統一、智慧とを修めて、一切の“苦”を超越し“苦しみ”から解放された(最高の清浄)。
ということです。
        
戒め、精神統一、智慧が一切の“苦しみ”から解放される唯一の道・法だと発見したのです。

その道・法がブッダの教えとなるのです。
  

戒め、精神統一、智慧、この三つを修めることを専門用語で“三学”といいます。 
しかし、ブッダの教えというのはたったひとつしかないと言えるでしょう。

それは、、、
「こころを清らかにする具体的な方法」です。
     
こころが清らかになる道とは、こころに起こる一切の“苦しみ”から解放される道のことです。
ですから、この道を歩むということは、苦しみからどんどん解放される道を歩むということです。
   
曖昧な“幸福”という概念を外に追い求めるのではありません。
自分のこころの中に確かに現れる、様々な悩み苦しみといったものを無くすことをするのです。
        
無くなるのですから、もう現れることはありません。
  
私たちのこころに起こる“苦しみ”というものがなくなること、それが本当の意味で幸福と言えます。

 

不安・不満はついて回る         
大金をつかんでも不安はあります。
有名になっても不安はあります。
キレイと言われても不安はあります。
大きな屋敷を所有しても不安はあります。
大勢の家族に囲まれていても不安はあります。
綺麗な服を着ても不安はあります。
美味しいお酒を飲んでも不安はあります。
グルメを堪能しても不安はあります。
夢を叶えても不安はあります。
資格をとっても不安はあります。
       
このように不安・不満といったものはついて回ります。
          
ですから、幸福というものは何かを持つこと、手に入れることではないのですね。
それで本当の意味で幸福になることはないのです。
なぜなら、不安・不満といった“苦しみ”が消えずに必ずそこに顔を出すからです。
  
しかし、この不安・不満・空しさといったものは、
とてもやっかいなものでそう簡単に消えてくれません。
というか消えることはほとんど不可能なのです。
   
なぜなら、私たち生命の根底にはそれを生み出す根っ子があるからです。
ですから、誰もその問題を解決することができないでいたのです。

もちろん現代においても、その問題を解決した方はいません。
        
そのややこしいテーマに命がけで取組んだのがブッダです。
まさに何度も命を失いかけているのです。


ブッダの歓喜の言葉  
そして、その結果、どうあがいても、どんなことをしても消えることがなかった不安・不満・空しさといった“苦しみ”を滅ぼし尽くすことに成功したのです。
             
「汝の正体は見られたり、汝が家屋を作ることはもはやあるまい。、、、、苦しみの原因は滅び尽くした」
ブッダが自ら悟った時の言葉『歓喜の言葉』という経典の一説です。
  
苦しみを生み出すものの正体を見つけた。
それが、苦しむ者(人間・生命)を作ることはもはやない。
なぜなら、苦しみが生まれる原因は滅び尽くされ、二度と現れないからだ。
        
ブッダは、こころに生まれる一切の“苦しみ”が消えた世界を得たのです。

“不安定・苦Dukkha”という真理を理解しそれを超越する。
その結果、一切の“苦しみ”消えたのです。
      
そして、その方法を誰にでもできる形にまとめあげました。
プログラム化したのです。
ブッダは悟った後の45年間入滅されるまで、このプログラムを伝道し続けるのです。
    
実際、様々な人たちがそのプログラムでブッダと同じ世界を得ることができたのです。
娼家の門に立っていた遊女だった女性も、同じ世界を得ることができたのです。
 
奴隷の身分の方をはじめ、王族、司祭といった高い身分の方も同じです。
分け隔て、差別など一切なくブッダはこのプログラムを説いたのです。
そして、多くの人びとがブッダと同じこころの世界を得るのです。

こころに生まれる一切の“苦しみ”が消えた世界を得るのです。
     
その数は数えきれません。

 

こころの汚れ           
清らかなこころの世界を得たのです。
清らかな世界とは、こころに積み上げられた汚れがスッキリ落ちた状態です。
こころの汚れとなるのは煩悩・執着です。
   
煩悩・執着こそが苦しみを生み出すものの正体です。
          
煩悩・執着は無智から生まれます。
無智とは真理を理解していないことです。 
    
ですから、無智でなくなりさえすれば煩悩・執着は生まれることはなくなります。
つまり、憂い、悲しみ、悩み、落ち込みといった“苦しみ”も生まれなくなるのです。
        
無智を破り“智慧”を得ること、それがブッダのプログラム構成です。
“智慧”を得ることができて、煩悩・執着が生まれることはなくなるのです。


不幸になれない完璧な道 
ということで、ブッダのプログラムを歩むことは、結果“不幸になれない”“不幸にならない”道を歩むことになるのです。
苦しみが生まれることがなくなっていくのですから、不幸にはなれません。
               
このブッダが悟った一切のこころの“苦しみ”から解放される法(ダンマ・プログラム)は、
約2600年の間、絶えることなく、変わらず存在し続けてきた、という“事実”があります。
  
それは奇跡と言えるでしょうが、実は当たり前のことなのです。
なぜなら、人びとを本当の幸福(“苦”からの解放)に導くための完璧なプログラムだからです。
 
完璧だからこそ2600年もの間存在し続けたのです。
偽物や流行だとしたら葬り去られていたでしょう。
   
他にそのようなものはありません。

 

誰でも確かめてみよ
Ehipassiko(エーヒパッシコー)というブッダの言葉があります。

パーリ語です。 

「『来れ見よ』何人も試して、確かめてみよ。」それだけ確かな教えなのだ。 

ということです。 

 

ブッダの教えはとてもオープンです。

どんな人(生命)にでも差別なく、隠すことなく、秘密にすることなく教えて下さるのです。
           
そのブッダのプログラムがこのセッションの背景にあります。
      
ブッダの説いた真理の道、真の幸福への道、一切のこころの“苦しみ”から解放される道、解脱への道に興味がある方、触れてみたい方はどうぞ触れてみて下さい。   
   
・怒り、怨み、憎しみから解放されたい

・色んな悩み苦しみから解放されたい
・本当の自分というものを理解したい
・自己否定から抜け出したい
・落ち込みから抜け出したい
・社会の流れについていくのが苦しい
・何をしてもこころがモヤモヤする
・親子関係がうまくいかない
・パートナーとの関係がしっくりしない
・いつも不安・不満がつきまとう

   
などいった身近な問題の根本的な解決法がブッダの教えにあります。

何度も言いますが、ブッダの教えは対症療法ではありません。
完全なる根治を目指すのです。
    
“苦しみ”を回避するため、“苦しみ”を覆い隠すために“楽しさ”や“癒し”に逃げる教えではありません。
  

楽しさや癒しは花火と同じで、あっという間に消えていきます。
やがて、また新たな苦しみとなって現れます。 


苦しみが消えれば幸福      
“苦しみ”を根本的になくしていくのです。
苦しみが生まれる根っ子を、確実に一本一本断ち切っていくのです。
根っ子が断ち切られれば、苦しみが生み出されることはありません。
   
“苦しみ”が消えれば(減れば)当然のことですが幸福になります。
その幸福は消えることはありません。
苦しみが生まれる原因(根っ子)が断ち切られているのですから、当然のことです。
       

このように一切の“苦しみ”を滅び尽くすことに成功したブッダの教えがあります。
その教えが背景にある「“こころ”のセッション」に触れてみても善いと思います。 


きっと今抱えている様々な悩み、苦しみから解放されていくでしょう。
その具体的な方法がブッダの教えには網羅されています。
   
しかし、ブッダの教えは、私たちの身近な問題の解決のためにあるのではありません。

ましてや現世利益のためでもありません。
 
あくまでこういったものは、ブッダの学びを実践する中で現れる“副産物”なのです。
   
ブッダが説き続けたのは、というか、説き続けたかったのは、そういた次元・世界を超えたもっと大胆な幸福への道なのです。
 

人間(生命)が未だかつて経験したことのなかった、真の幸福への道なのです。
    
そのようなことも、このセッションで触れることができるでしょう。
 

■“こころ”のセッションの概要■

・セッション時間:45分程度
・セッション日時及び場所:ご相談の上調整致します。
 スカイプ、フェイスブックメッセンジャー、LINEでも可。
・ブッダの幸福への言葉(チャンティング)を差し上げます。
・セッション費用:お布施(ダーナ)
・対話者:井澤直樹(ムサ・コジ)

Dhamma Session

ダンマ・セッション

“こころ”の対話