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  • naoki izawa アリヤワンサ 

「新型コロナウィルス」そして「無智」_vol2


前回「新型コロナウィルス」そして「無智」Vol1の続きとなります。


では、本題に入っていきたいと思います。

     

無智とは、生きることの「事実・真実・真理」を知らないことです。

発見していないことです。

ですから「無智」なのです。

  

生きることの「事実・真実・真理」を発見することで、はじめて「智慧」が現れます。

それまでは、「無智」なのです。

 

一般(俗世間)的には、知識が無いこと、知らないことを「無知」と言います。

学者、専門家などを世間では識者として尊敬したりします。

 

しかし、ブッダは「知識」をたくさん得ることではなく、「智慧」の発見を説かれています。

「知識」に重きを置いていません。

  

知識とは俗世間の中で生きるためのリソースのことです。

ですから、必要なことではあります。

しかし、それ自体に安らぎ・安穏はありません。

 

そして知識は今「グーグル」の「アルゴリズム」にあります。

ググればグーグルのアルゴリズム(好む傾向)で、情報つまり知識を得ることが簡単にできます。

それは、グーグルによって操作されたもの、作為的なもの、誘導されたもの、と言うこともできます。

ですから、そこに安らぎ・安穏などは存在しません。

快感が生まれることもありますが、すぐに消えていきます。

    

智慧とは生きることの事実・真実・真理を発見することです。

ですから、そこには安らぎ・安穏が常に生まれます。

なぜなら、悩むこと、迷うこと、混乱することがなくなるからです。

そして、そのような安らぎ・安穏を失うことはありません。

   

ブッダの教えの中に「3つの災難」というものがあります。

 

災難をパーリ語ではKappa(カッパ)と呼びます。

Kappaとは破壊することを意味する言葉です。

 

ですから、かなり強い意味があるように思います。

  

世界が邪悪な行いに圧倒された時に生じる災難を「3つのKappa」と呼ぶのです。

それは、次の3つによる破壊・災難のことです。

  

①飢饉による災難

②武器による災難

③疫病による災難


これらの原因は次にようになります。

  

①人々が欲に圧倒された時

②人々が怒りに圧倒された時

③人々が無智に圧倒された時

  

今回の「新型コロナウィルス騒動」は③に当てはまるでしょう。

世界が「無智」という邪悪な行いに圧倒されている、ということですね。


無智の心は、疑 Vicikicchā(ヴィチキッチャー)という感情です。

そして、混乱状態、浮ついてまとめられない感情でもあります。

落ち着いていないで、物事をはっきり認識していない状態です。

 

無智の「疑」とは、「智慧」を求めるものではなく、その理解を拒絶するものです。

つまり、「事実・真実・真理」を拒絶するものです。

  

物事をただ単に理解しない。

理解する能力がない。

ただボーッとしている状態です。

 

真実を理解しようと、確かめようとしてチャレンジすることがないのです。

分かっているのかさえも、分からない状態です。


かといって素直に聴くということもしません。

   

なぜ?どうして?本当はどうだろう?などと、事実・真実を理解しようとチャレンジすることは、ここで言う「疑」ではありません。

ブッダはこのようなチャレンジを推薦しています。

   

無智の心とはこのような状態です。

そして、このような無智の心が、この「新型コロナウィルス騒動」で、これまで以上に今蔓延しているのです。

 

無知が消えない限り、人(生命)の混乱は続きます、落ち着くことはありません。

ですから、安らぎ・安穏が生まれることはありません。

     

しかし、、、

人(生命)は「無智」なのです。

そして、「無智」であるのが人(生命)なのです。

 

今回の騒動を観ていると、それが鮮明にあぶり出されるのがはっきりわかります。

   

どうあがいても、人(生命)は「無智」なのです。

    

だとしたら、、、


「人(生命)でなくなったとき(超越したとき)、智慧が現れる(無智でなくなる)」と言うことができます。

  

人(生命)ではなくなった方を「Uttari-manussa(ウッタリ・マヌッサ)」超人とブッダはおっしゃっています。

パーリ語でmanussa(マヌッサ)とは人、人間のこと、人間という生命のことです。

uttari(ウッタリ)とは、超えた、より上の、といった意味です。

 

人間という生命を超えた、ということで「超人」と日本語に訳されています。

ブッダは私たち生命に「Uttari-manussa(ウッタリ・マヌッサ)」(超人)になりなさい、と強く勧められるのです。 

ブッダの教え(ダンマ)は「超人法」なのです。

 

人(生命)という心のレベルを超越した人ということになります。

それが「Uttari-manussa(ウッタリ・マヌッサ)」(超人)なのです。

        

かなりややこしくなりました。


私たちは「生命」という枠(制限)にとらわれて(囲われて)しまっている、と理解してみてください。

囲われているわけですから、自由ではありません。

そこに本当の安らぎ・安穏はありません。

いつも不安に苛まれなければなりません。

いつまでたっても落ち着くことはありません。

だからこそ、「生命」という「枠」を超越しましょう。

そこにチャレンジしてみましょう。

 

とブッダは勧められているのです。

 

なんども書くことになりますが、「無智」でいる限り、安らぎ・安穏は永久に訪れません。

ですから、幸福になることはなく、不幸のままなのです。

それは、この生が終わっても、次の生、次の生、次の生、、、と果てしなく続くのです。

 

『無数の生涯にわたり、あてどなく輪廻(生命の世界)をさまよってきた、、、更に更にと、生まれ変わるのは苦しいことである』『Paṭhama udāna 歓喜の言葉』

 

とブッダご自身が吐露されています。

ブッダご自身も経験者なのです。

  

「無智」も因縁の法則によって起こるものです。

ですから、それを破るためには、やはりその「因縁」をよく理解することが必要になります。

人(生命)である自らの心と身体を観察して発見するのです。

それしかありません。

 

その方法をブッダは教えてくださっています。

それが、「Vipassanā ヴィパッサナー」です。

       

今回はかなり長文となってしまいました。

しかし、これでも十分ではありません。

ブッダの教えはとても深く清らかなものです。

ですから、そのことを書こうとすること、説明しようとすることはかなり困難なことです。

   

しかし、ブッダの教えをもっと知っていただきたい、触れていただきたいという思いがあります。

そのようなところで、今回も書いてみました。

 

何か「生きる」ことに役立つものがあれば幸いです。



最後に、、、、

ウィルスも生きている。

必死に生きようとしている。

生き延びようと懸命になっている。

死にたくない、と必死になっている。

殺さないで、と抗っている。

ということを、理解してあげましょう。


私たちと同じです。


Mettā(メッター)慈悲の心を忘れないようにしましょう。

それが、今回の騒動の本質的な解決策となるのではないでしょうか。

 

私たちの身体には数百兆もの常在菌(細菌など)が住んでいます。

その菌たちが、私たちの身体を守ってくれてもいるのです。

 

ちなみに皮膚には約一兆個の常在菌が住んでいます。

そして、彼らはバリヤーとなってくれて、外からの細菌等から守る役目を果たしてくれています。

怯えからの過剰な手指洗浄は、そのバリヤーを破壊することにもなるのです。


私一人が存在するわけではありません。

私一人だけで、存在することはできません。

生命と生命が触れながら、依存し合いながら存在しているのです。

      

このような事実もきちんと理解しておきたいことです。

 

    

みなさまの求め望んだことが、すぐに成し遂げられますように。

すべての祝福がありますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

 

井澤(アリヤワンサ)


追伸


お気づきだと思いますが、「因縁」の法則というのは、別にブッダがわざわざ説かれなくても、当たり前のことだというのはお分かりになるでしょう。

 

何か「原因」がなかったら「結果」もないことくらい誰でもご存知のことです。

ですから、因縁の法則はブッダだけの特別なものではありません。

自然の法則なのですから。

  

ブッダの因縁の法則は「心」に関しての「因縁」なのです。

苦しみの心が生まれ続ける因縁。

そして、苦しみが一切生まれなくなる因縁。についてです。

それは、誰も解明できなかったことです。


そして「因縁の法則」を超越する教えでもあるなのです。



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