top of page
検索
  • naoki izawa アリヤワンサ 

彼岸に彼岸を思う



一昨日(3/23)は彼岸明けでした。    私たちの国では「彼岸」ということを言います。 「お寺参りに行こう」「ご先祖のお墓に行こう」とか「お線香の一本でも進ぜよう」など古くからの習慣、伝統ですね。 ぼた餅、おはぎなども彼岸供養の供物の定番です。 大切な節目の行事として存在しているようにも思います。       「彼岸」と呼んでいるこのような行事は、正式には「彼岸会(ひがんえ)」のことを言います。 三月の春分と九月の秋分の二回あります。   春分、秋分の前後3日、計7日の間修される「法会(ほうえ)」ということなっています。 「法会」ですから仏事・法要のことで、ブッダ・菩薩を供養したり、経典を読誦したり、追善の法要を営んだりする、仏法に関する行事ということになります。    「追善」とは善事を修し、供養を施して死者の冥福を祈る行為のことです。                ちなみに、このような行事は日本にのみみられるものです。 聖徳太子の頃より始まったとも言われるようです。 そして、平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化したとのことです。 また、在家の信者はこの間寺参りや墓参りを行うのが習わしとなっています。 (「岩波仏教辞典」参照)    一昨日がその期間の最後になったわけです。 しかし、仏道精進の行事という雰囲気はありません。          では「彼岸」とはどのような意味なのでしょう。 岩波仏教辞典には次のように書かれてあります。    「かなたの岸、目指す理想の境地、煩悩の激流ないし海の(此岸しがん)から、修行によってそれを渡り切った向こう岸。つまり、輪廻を超えた涅槃の境地のこと」       つまり、覚り、涅槃、解脱といったブッダの説かれた究極のゴールのことです。 それは、一切の”苦”から解放された境地ということですね。 本来の「彼岸」とはこのようになるわけです。     言語はパーリ語で Pārimatīra(パーリマティーラ)です。 向こう側の岸という意味のなります。 終了、結論、究竟などの意味も含まれているようです。   修行によって渡り切った向こう岸、究めつけの境地、つまり煩悩の激流を渡り切った向こう岸、涅槃、解脱という意味になります。 それが「彼岸」と漢訳されたのでしょう。        私たちは「彼岸会」という行事のことを「彼岸」ではありませんが「彼岸」と呼んでいるわけです。 寺参り、お墓参りの行事だけして、「彼岸」つまり煩悩の激流を渡りきることなどできませんが、何やら大切な行事であるようには思っているようです。       ちなみに「彼岸会」は仏教の「在家の信者」が対象になるわけですから、「在家の信者」でない方は「彼岸会」など一切関係ありません。     「在家信者」つまり仏教徒のことです。 「仏教徒には、仏法僧に帰依すること(三帰依)でなることができます。」 そのようにお釈迦さまがおっしゃっています。   仏(Buddha ブッダ)とはブッダつまりお釈迦さまのことです。 法(Dhamma ダンマ)とはお釈迦さまの説かれた真理の教えのことです。 僧(Saṇgha サンガ)とはお釈迦さまの教えを実践するお釈迦さまの弟子たちのことです。   「帰依する」とは、この仏法僧の導きに従って生きてみる、という意味となります。   原語であるパーリ語では saraṇaṃ gacchāmi(サラナン ガッチャーミ) です。 saraṇaṃ(サラナン)には避難所という意味もあり、避難所として行く(gacchāmi ガッチャーミ)というふうに捉えた方がしっくりくるかもしれません。   仏法僧が私たちの苦しみ、恐怖などを解放してくれる避難所、ということですね。 そこに行きます。向かいます。ということになります。   簡単に言ってしまえば、三帰依とはそのようなことになります。 その三帰依さえすれば、仏教徒になれる、とお釈迦さまはおっしゃっているのです。   しかし、厳密に言えば、真の仏教徒になるのはそう簡単ではないように思います。 なぜなら、、、 「預流果(よるか )sotāpatti-phala(ソーターパッティパラ)」という最初の覚りに到って、初めて「仏教徒」と呼べるとも言われているからです。       さて、このように観ると、どれだけの方が「仏法僧に帰依(三帰依)」しているのでしょうか。 ゼロに近いのではないでしょうか。      例えば、日本の葬儀の中において「仏法僧に帰依(三帰依)」するところがあります。 それはもちろん故人に対して行っているわけです。 ということは、亡くなってから「仏弟子」になるということになりますね。      その儀式を行うことで、故人が仏弟子になった、ということにするようです。 仏弟子になって「悪趣(地獄、畜生、餓鬼、阿修羅)」に堕ちないように、ということなのでしょう。 そして「成仏」するように、ということなのでしょう。    「成仏」とは、本来覚りを開いてブッダ(仏)になることをいいます。 葬儀中に僧侶が、三帰依、五戒などに関する儀式を故人に向けて行っただけで、成仏することはありえません。 故人はもうすでにどこかの世界(生命)に転生しているはずです。 三帰依、五戒を受けて仏教徒として精進するためには、やはり生前に受ける必要があります。 功徳を積むことは生きている時にしかできません。        しかし、葬儀中にさえ、このようなことをするのですから、やはりお釈迦さまが定義されている「仏教徒」はほとんどいないように思うのですが、いかがでしょう。    また先ほど少し書きましたが、三帰依だけでなく合わせて「五戒」を受けて守るということも仏教徒にはあります。 在家には「五戒」だけではなく「八戒」「九戒」などもあります。   「五戒」は、生命として、生命の中で幸福に生きるための基本的な戒めです。 「八戒」「九戒」は在家であっても、覚り、涅槃、解脱に向けまじめに修行するための戒めとなります。   ちなみに出家には比丘戒律の条文を集めた(pāṭimokkha パーティモッカ)227条があります。 「比丘(びく)Bhikkhu(ビック)」とはこの戒律を受けた男子の出家修行者のことを言います。   当然比丘はこの227条の戒律を守ることになります。      この戒律の一番最初に「パーラージカ(pārājika)4条」というのがあります。 パーラージカは、違反した比丘の、その身分が断たれる最も重い罪となります。 つまり、即刻比丘ではなくなるわけです。   その第一条は次のようなものです。   「比丘が淫法(性交渉 methuna-dhamma)を行えば、パーラージカである」 となっています。 そして、性交渉の内容も具体的にされています。   この項目が比丘戒律の一番最初にあります。       「出家」とは、家庭生活を捨てて、遍歴遊行生活に入ることをいいます。 「遊行」とは諸方をまわって仏道を修行することをいいます。 少欲知足を旨として、托鉢によって暮らし、ひたすら解脱を求めるのが本意となります。    また、比丘として出家するには最低5名以上の比丘がいなければなりません。 その比丘たちに出家を志願し、そして認めてもらわなければ「出家」にはなりません。 自分で勝手に出家しているなどどいうことはできません。    日本でも出家ということを言います。 そして、出家された方を「僧侶・僧」と呼ぶのが慣例です。   僧侶つまり「僧」は「僧伽(そうぎゃ)」からきている言葉です。 「僧伽」という言葉(漢訳)は、先ほど三帰依のところにあります「Saṇgha サンガ」からきています。 サンガとは男性出家者の比丘、そして女性の比丘尼(びくに)の修行者の集団のことをいいます。     ですから、比丘が僧の由来になるわけです。 つまり、比丘と僧侶は同義になります。    しかし果たして、先ほどのように観てみると、日本で僧、僧侶と言っている方々は、本当に「僧」になるのだろうか、、、と思ってしまいます。   家庭生活も捨てていませんし、遊行もしていませんし、5名以上の比丘にも認められていないでしょうし、お釈迦さまの定められた「pāṭimokkha パーティモッカ)」227条の一番最初にある最も重い罪となる戒律にも当然違反していることになります。    これだけでも、やはり日本で「僧侶」と呼ばれている、また自称してる人は、出家ではなく「在家」ということになります。 「在家」の「僧侶」という異質なスタンスですね。      瀬戸内寂聴さんとスマナサーラ長老との対談が過去ありました。 その中に、日本の仏教の親でもある中国に日本の僧侶団体が訪れた時、とても恥ずかしい思いになった、という寂聴さんのお話のところがあります。 概要は次のようなものだったと思います。     同行した一人の日本人僧侶が、中国の和尚に、、 「私の父がその節は大変お世話になりました」と感謝の意を述べたそうです。 それを聞いた中国の和尚は、、、 「父????」となったそうです。 「そうですか。あなたは養子なのですね、、、」という会話になりました。   それを聞いていて、とても恥ずかし思いになった、ということです。   出家していたら「実子」というものは存在しないはずなのですが、、、ということですね。   もちろん、日本の仏教つまり「大乗仏教」には、それなりの言い分・理屈があるのでしょう。  しかし、お釈迦さまがそのようなことを認めた事実は一切ありません。 いずれにしましても、日本の僧侶?を完全な出家と呼ぶことはできないように思いますが、いかがでしょう。     話をもとに戻しますが、「仏教徒にはどうしたらなれるのでしょうか?」という問いにお釈迦さまは『「三帰依」をすることでなれます』とお答えになりました。    さらに、「優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)になるにはどうしたらいいのでしょう?」という問いがありまして、お釈迦さまは次のように答えられています。 「三帰依、五戒を守ることによって優婆塞(うばそく、upāsaka)、女性は優婆夷(うばい、upāsikā)になります」と。   ちなみに優婆塞と一般の仏教徒ではどう違うのでしょう。 明確な定義があるわけではないと思うのですが、その辺少し書いてみます。      優婆塞(うばそく)は居士(こじ)とも訳されています。 女性の優婆夷(うばい)の場合は大姉(だいし)となります。     日本では位牌の戒名の最後にこの「居士」「大姉」という「位号(いごう)」をよく見かけますね。 ちなみに戒名の最後についたからといって、本来の「居士」「大姉」とは限りません。 ほとんどの場合は、位牌の戒名や位号などは「ネーミング」にすぎません。    本来の居士(大姉)とは、出家せずに、家庭で修行をする仏教徒を表す言葉です。 男性の在家仏教徒という意味です。 家に居る士ということから、その名前がついたとのことです。    居士と一般の信者との違いは、出家こそしていないとはいえ、仏教の知識や経験においては、僧侶と同程度の力量を持っているという意味があるようです。 確かに三帰依だけではなく、「五戒」を護持し真摯に実践したり、さらには「八戒」「九戒」なども実践すれば、覚り、涅槃、解脱の道である「八正道」の実践に繋がることになります。 それは出家比丘と変わるところはありません。 そのように優婆塞(うばそく)をみれば、一般の仏教徒とは違ってくるように思います。    このように少し突っ込んで観てみると、在家信者に当てはまる人はほとんどいないようです。 ですから「彼岸会」なども関係ないはずなのですが、、、。     しかし、「彼岸(彼岸会)」を大切な節目の行事として、真面目に捉えられている方が多いようです。     ご先祖を大切に思い、「彼岸」という特別なイベント(名称)を設定し、先祖供養するといったことは善行為です。 悪行為ではありません。 「彼岸」の意味を理解している、いないの問題ではありません。 ですから、「彼岸会」は私たち日本の文化、習俗として大切なものだと思います。 ご先祖を敬い大切に思う心は、ブッダ(お釈迦さま)も大切にするように説かれています。 そのような心は、育てていくべきだと思います。   「彼岸会」は、あくまで行事・イベントですし、日本だけのものです。 しかし「彼岸」は違います。 私たち生命すべてに、大きく関係することです。 在家信者でなくても大いに関係があることです。   「彼岸」はこのブログの冒頭に書きましたように、生命が「一切の”苦”から解放された境地」を指します。 「生きる」ということの最終ゴール(結論)・達成のことを言うのです。     人間という生命がなすべき究極のゴール(結論)・達成を言うのです。 ですから、「彼岸」はすべての生命に欠かせないことであり、決して無関係なことではありません。 「彼岸会」のように、ある決まった期間だけの問題ではないのです。 生きている「今」に直結していることなのです。    ですから、ブッダは在家信者であろうがなかろうが関係なく、すべての生命に向けて公平に真理を説かれたわけです。 「涅槃」と言う境地、つまり「彼岸」と言う境地に到る具体的な方法(Dhamma ダンマ)を説かれたのです。   その方法を現代の私たちでも学ぶことができるのです。    しかし、残念ながら私たちが日常見聞きしている「仏教」で学ぶことはできません。 なぜなら、私たち日本人が馴染んでいる「仏教」と「ブッダの教え」はかなり違うものだからです。 先ほど、仏教徒のところで少し書きましたように、また寂聴さんがおっしゃたように「日本仏教」は「ブッダの教え」から逸脱してしまっています。     私たち日本人が馴染んでいる「仏教」は、「ブッダ(お釈迦さま)の教え」というより、「宗祖」などと称される「法然」「親鸞」「日蓮」「空海」「最澄」などの教えという方が正しいのですね。 禅宗では「栄西」「道元」などの教えとなります。 ですから、それらはゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)の直の教えではありません。 彼らはブッダの直の教えを知ること、聴くことはなかったのです。 なぜなら、お釈迦さまが直に説かれたことを纏めた「経典」は日本には入ってきてなかったからです。 日本に入ってきた仏教経典と呼ばれるものは、漢字の経典、すなわち中国を由来しているものです。 中国というカラーに染まって、日本に入ってきたわけです。     さらには、現代の日本の仏教の状況は、このような宗祖の教えからも逸脱しているように思えます。   そのようなことですから、「ブッダの教え」はやはり私たちに届くことはなかったのです。 つまり、「一切の苦しみから解放される道(方法)」が私たちに届くことはなかったのです。 「彼岸」という風習はずっとありましたが、「彼岸」への道はずーっと閉ざされていたのです。 暗闇に覆われていたのです。       しかし、その道を知ることが今では可能になったのです。 一切の苦しみから解放される道を、具体的に学ぶことが可能になったのです。     具体的な「ブッダの教え(法 Dhamma ダンマ)」を、今やっと学ぶことができるのです。       その機会(Dhamma ダンマ)に触れるきっかけを、これからも提供できればと願っています。        彼岸に彼岸を思いましたので、彼岸について書いてみました。   一切の不幸・病苦を避けられますように。 災難に遭うことなく、末永く幸福に暮らせますように。 生きとし生けるものが幸せでありますように。 井澤(アリヤワンサ)   追伸 次の機会には「供養」について書いてみたいと思っています。 「供養」という言葉もごく普通に使われています。 「供養」もブッダの言葉です。 本来その意味するところはどういうことなのか、その辺について書いてみます。  

閲覧数:23回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page