“真の自由”へ導く唯一のセッション
それが「The Session(ザ・セッション)」
このセッションはよく言われるところのセッションとは違う。
カウンセリング、コーチング、コンサルティングなどで使われるものとは違う。
また、これらのベースとなっている心理学、NLP(神経言語プログラミング)、
マインドリーディング、プロファイリング、などとも違う。
なぜ違うのか、、、
なぜならこういったもので、あなたを“自由自在”な世界に導くことはできないからだ。
“自由な感じ”は手に入るだろう。
しかし、“自由自在”にはなれない。
実際、私もそういったものを学んだ。
そしてそれを私自身にも実践し、また、クライアントに対しても行った。
でもそれは低次元の意識界層止まりだ。
自由“感”止まりだ。
それを超えた次元にはいけなかった。
私が望んだもっと高次の意識の世界に、
結びつくことはできなかった。
私が望んだもの、、、
それは、私が実際体験した“真の自由”つまり自由自在な世界。
私は偶然、今思えば必然だが。
その世界に入ることができた。
それは、何度となくあった。
そんな神秘体験をすることが起こった。
※プロフィール参照
自由自在な世界。
それは、言葉ではとても表現することはできない。
しかし、確かに存在する。
とても深く静かな世界。
絶対的な安堵の世界。
無上の喜びの世界。
至福。
存在。
意識。
同じようにこの世界を知った人たちは、
このような言葉を使っている。
しかし、言葉に尽くすことはできない。
それもよく分かっている。
私はこのような世界を知ってもらうために、
そして、私自身が体験したことを真に理解するために、
心、魂、身体、感情、思考について学ぶことになった。
それは今から30年ほど前のことだ。
そんな経緯の中で私は得心した。
私は真に理解することができた。
私が体験した不思議なものが何か、
なぜその世界に入ることができたのか。
そして、その答えは西洋にではなく、
実は東洋の叡智にあったのだ。
“真の自由”“自由自在”という世界につながる唯一の鍵は、
東洋の叡智にしかない。
西洋式ではその世界には入ることはできない。
つまり、西洋で体系化された、
カウンセリング、コーチング、コンサルティング、、
これらのベースとなっている心理学、NLP(神経言語プログラミング)、
マインドリーディング、プロファイリング、などには限界がある。
だから、このセッションはよく言われるところのセッションとは違う。
あなたを“真の自由”に導くための唯一の鍵である、
東洋の叡智が盛り込まれたセッションと言える。
だから、
「The Session」
唯一のセッション。
あなたが“真の自由”という世界に気づく瞬間が、
このセッションできっと手に入るだろう。
自由“感”ではない
このセッションは、あなたを自由自在な人生に導くものだ。
そのためだけのセッション。
もし、あなたがそれを望むなら迷わず、
このセッションを受けたらいいだろう。
ちなみにここで言う自由自在とは、
自分の欲しいままに振る舞う放蕩のことではない。
また、西洋の成功法則によく出てくる、
健康、お金、人間関係、時間、感情などといったものを、
手に入れることで自由になれる、というものでもない。
なぜなら、これらすべてを手に入れても、
自由自在になれないからだ。
自由“感”は手に入るだろう。
しかし、あなたそもそもが“自由”にはなれない。
手に入れることで得られる“感”はいずれ消えていく。
それは情緒のひとつだ。
情緒というものは、
常に変化しつづけるもの。
「あ〜美味しかった、、」
というのと同じ。
この美味しかった“感”はすぐ消えていく。
ちなみに日本語に情緒語とよばれものは、
8000種類以上あると言われている。
それだけ“感”は微妙に常に変化するということ。
そんな微妙なもので、
自由自在になれるわけはない。
また、個人の判断を重要視する、
欧米で言うところの“自由主義”ともまるで違う。
ここで扱う自由自在とは、
“全く自由”ということ。
あなたそもそもが“自由自在”だということ。
あなたの存在そのものが自由自在だということ。
あなたそもそもが“自由自在”なのだから、
あなたは何もしなくても、
何かを手に入れなくても、
どこかにいかなくても自由自在。
今ここにいるだけで自由自在。
それが、ここで言う“自由自在”というもの。
だから自由“感”とはまるで違う。
ちなみに、自由とは<自分に由る>、
つまり他に由(よ)るのではなく、
自分にもとづくという意味がある。
だから自由。
また、自在とは、、
心が煩悩から解放されて自由になり、
思うままになし得る能力、という仏教語。
それは、
「自らが自らに在る」
という言葉にもつながっていく。
自らの中にこそ、
自らが存在する。
自らの外にあるのではない。
自由が自らの外にあると誤って認識し、
外にに求めることそれは煩悩だ。
それを無知という。
外にあるのではなく、
「自らが自らに在る」
と正しく認識することが、
煩悩から解放される大きな鍵なのだ。
このように自由という言葉、
自在という言葉の語源からも分かるように、
自由自在というのは、外に求めることではないことが分かる。
逆に外にあるものと、
誤って認識することは煩悩につながる。
煩悩は苦しい心を生み出す源。
つまり、西洋の成功法則はかえって煩悩を生み出し、
そして、苦しい心を生み出すことにもなるのだ。
真の意味で“自由自在”になるのには、
“自分”“私”といったものが大きく関わる。
そして、それに伴って実は“心”というものが、
全面的に関わってくる。
そのようにみると、、、
“自分”“私”とはいったい何か、
そして“心”とはいったい何か、
これらの正体はいったい何なのか、
そこにメスをいれることを、
必ずしなければならない。
その段階をスルーすることはできない。
“自分”“私”、
そして“心”
それらが様々なものからあなたを解放し、
自由自在な人生に導く唯一の鍵なのだ。
明確にしなければならないこと
その鍵を探す上で、
ここで明確にしておかなければならないことがある。
それは“自分”“私”とは、
いわゆる“自我”ではないということ。
自己啓発系が扱っているのは、
“自我”の意識次元だ。
スピリチュアル系でも同じことが言える。
しかし、“自我”という意識次元の中にいる限り、
“自由自在”につながることはない。
その意識次元の中を、右往左往して終始するだけ。
その次元にいる限り“自由自在”につながることは絶対ない。
まず、そのことを知っておいてほしい。
そして、もうひとつは“心”というテーマは、
心理学では解決できないということだ。
心理学、特に深層心理学という分野が、
心と大きく関わってくる。
ちなみに心理学は日本では文系のようだが、
欧米では理系と言われている。
つまり、臨床を分析し、それをパターン化し、
そして統計データとする。
そのデータをもとに患者(クライアント)を観察する。
だから理系なのだ。
クライアントの心の微細な機微を、
感知することはできない。
パタンーン化するだけだ。
さらに心のコア(核)にまで触れることはできない。
深層心理学の立役者といば、
フロイト、ユングだ。
彼らがやったことも同じだ。
ただし、臨床例は心を病んだ患者だけであり、
また、その当時(1800年代末)のことを思えば、
臨床例は限られたものだった。
つまり、統計データのもととなる、
母数が多いとは言えないこと、
そして限定された(神経症等)対象がほとんどだったということ。
神経症等でない普通(?)の人の、
心は対象になっていない。
また、フロイトとユングに共通するところがある。
それは、彼らも神経症だったことだ。
ちなみによく聞かれるところだが、
医師の自殺率は一般人に比べてかなり高いらしい。
その中でも精神科医の自殺率は、
他の医師の2倍との統計もある。
やはり、そこに心理学の限界を感じる。
しかし、フロイトやユング自身が神経症だったから、
心の世界の学問を研究したのだろうし、
その功績は大きいように思う。
しかし、ここで気づいてほしいのは、
彼らが扱った心の部分は、やはり“自我”に関するものだ、
ということだ。
何度も言うように、
自我の問題を、自我の属する意識階層で解決することはできないのだ。
確かにユングは集合無意識という概念を発見した。
それは、“自我”を退行したところの意識階層にある。
ユングはフロイトと決別し、
その世界に踏み込んだいった。
その世界とは“神秘主義”という世界。
ちなみに、“神秘主義”という概念は、
東洋のものだ。
実際、ユングは東洋思想・哲学の世界に踏み入れようとする。
西洋的な心理学の限界を知ったからだ。
その経緯があって、集合無意識という概念が生まれたのだろう。
心について探究し続けた東洋
心というテーマをより深くとらえるなら、
東洋思想・哲学の叡智こそがバイバルとなる。
“心”を最初に科学したのは、実は東洋だ。
紀元前1000年の太古の時代にすでに、
『ヴェーダ』という経典というものがあった。
さらに、神秘主義の時代には『ウパニシャッド』。
神秘主義とは隠されたもの、
言葉で言い表されないものを表現することを意味する。
“隠された”ものとは“真の自己”のことだ。
真の自己は自我とはまるで違う存在だ。
表面化することはない。
ただ深く静かにそこに常に存在するもの。
“真の自己”は言葉では言い表すことはできない。
それを表現しようとしたのが神秘主義。
その後「サーンキヤ哲学」というものが確立される。
つまり哲学という体系だった概念があらわれる。
それを基礎として、仏教、ヨーガ、ヴェーダーンタ、
タントラなどいったものが作り上げられた。
心の科学を体系的にまとめた
『ヨーガ・スートラ』という経典もそうだ。
ちなみに聖書もそのひとつだ。
他にも聖書に匹敵するくらい知られている、
『バガヴァッド・ギーター』
『ブラフマ・スートラ』
などがある。
また、日本では古神道というものが、
それらに匹敵しほぼ同じことを説いている。
ちなみに古神道・言霊(コトタマ)こそが、
世界すべての聖典・経典の原点だとも言われている。
他にも心や真理をテーマに、
様々な経典、聖典が数多く生まれている。
そして、それらのほとんどは東洋から生まれた。
つまり、心のテーマを深く探るためには、
東洋の叡智が不可欠なのだ。
仏教の開祖ゴータマ・ブッダ。
彼は最高のブッダ(覚った人)だ。
真の自由自在な境地を覚った人だ。
ちなみにフロイトやユングは優れた学者であり、
知識人であったのは事実だが、
“覚者(ブッダ)”ではない。
あくまでそこに関しては凡人と言える。
実際、彼らの人生は自我(エゴ)に翻弄されている。
つまり自由自在な境地からは、
ほど遠い人たちだ。
エゴといった煩悩を持つことの、
苦しみを教えてくれた人たちだ。
西洋は物質化に突き進み、それは今でもまだ変わりないが、
東洋は過去何千年もかけて、心の神秘に取組んできている。
それも真っ向から真摯に、
それこそ命をかけて取組んできている。
ちなみに、西洋人に覚った人、
光明を得た人、覚醒した人っているだろうか?
モーセやダビデ、ソロモン、そしてイエスも、
みな非白人(オリエンタル)だったと旧約聖書に記述されている。
このように考えると、
西洋式で“心”に全面的に関わることはできない。
心理学、NLP(神経言語プログラミング)、
マインドリーディング、プロファイリング、
最近こういったものが数多くでてきている。
こういった体系化された西洋方式は、
あくまで対処療法としては使えることができるだろう。
心の表面的なもの、
心のさざ波へ一時的な対処法と言える。
でも結局、取り繕っているだけなのだ。
だから、、、
“心”の核(コア)にまで関わることはできない。
“心”の核(コア)に関われない限り、
“真の自由自在”な境地につながることはできない。
“心”は自由自在への障害、
つまり悪魔マーラ(魔の化身)であり、
そして唯一自由自在という世界の扉をあける鍵でもある。
このような理由から、
このセッションは東洋の叡智が核になっている。
西洋式はあくまで対処療法用としてのみ、
扱っている。
このセッションは、自由自在な人生にあなたを導くためのもの。
それは、最初に書いたとおり。
そのためにある。
自由自在な人生とは、
真の自分とは、
そして心とは、、
そこに気づきたいと気づいた方のためにこのセッションはある。
あなたにその気づきがあるのなら、
それを邪見にしないでほしい。
なぜならその気づきこそが、
あなたを自由自在へ導く、
最初の瞬間であるからだ。
その気づきは、
あなたのこの人生の宝だ。
私にはそれがよく分かる。
セッション概要
今回提供する「The Session」はつぎのようになります。
いずれかをお選び下さい。
<Trial versionトライアルバージョン>
〜体験セッション。
5,000円(込)約1時間
※初回限定
<Basic versionベーシックバージョン>
〜自由自在な人生原理の探究
20,000円(込)約2時間
<エバンジェリスト>
ムサシコジロー井澤直樹
プロフィール⇒https://www.humanharbor.club/naoprofile
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