プロフィール
井澤直樹
musa-koji
全国約600ヶ所行脚。
12,000人を超える方たちに“自由自在”メッセージを伝えている。
それにより、数えきれないほど多くの方たちに心身の解放と覚醒、そして喜びに導いている。
自由自在な人生エバンジェリスト
<モットー>
・偉大なる人の思考(Mahâ purisa vitakkaマハー・プリサ・ヴィタッカ)
・慈悲喜捨(Metta Suttamメッタ・スッタン)
・法・真理への帰依(Dhammaダンマ)
・智慧への道(Paññâパンニャー)
<ミッション>
・自由自在な人生への導き
「多くの人たちに心の解放を得ていただき、自由自在な人生を歩んでいただくこと」
そのためにブッダのDhamma(ダンマ:法・真理)を探究しその智慧を伝道していく。
<現在の活動>
・メディテーター(Meditator瞑想者)
・“人間探究所”
ヒューマン・ハーバー 所長
・ヴィパッサナー観法(vipassanā-bhāvanā)実践
・“こころ”の学校主宰
・“こころ”の統御指導
・善“あきない”/善商心/プロデューサー
・人生プロデューサー
・著述家
<メッセージ>
私は肉体的に3度ほど死にそうになりました。
一度目は刃物で、二度目は水で、三度目は車です。
しかし、いずれも紙一重の差で死から免れることができました。
かすり傷ひとつ負う事なく、難を逃れることができたのです。
もし、その絶妙な差がなかったら、私は今ここに存在していないでしょう。
それほど神懸かり的なものと言えます。
また、心や魂レベルで言うと、これも3度ほど大祓いされ、浄化されてきました。
もちろん、その間私の人生は波乱万丈でした。
しかし、祓われ浄化されるたびに、私の心や魂レベルはとても軽く、
そして喜びにあふれていったのです。
人生というのは実に神妙なもので、紙一重の差、クオンタム(量子)レベルの差で、
生きたり死んだり、また、喜んだり暗闇に落ち込んだりします。
その神妙な差はどこから生じるのでしょう。
現実問題、その神妙な差が人生の差を生むのです。
その解が今私の中にはあります。
“自由自在”な状態。
何も囚われいない状態。
これが、私の解です。
私たちが心的にも肉体的にも“自由自在”な境地にいる時に、
滞ることなくすべては最適な方向に流れるのです。
何も囚われない“自由自在”な境地、是非味わって下さい。
<経歴>
1957年生まれ
・青山と清流に囲まれた落ち武者伝説が残る山里に生まれる。
・中学の時、弓の稽古中”透明な意識”と出会う。
・高級ナイトクラブ「コパカバーナ」(デヴィ夫人出身)で豪華絢爛なナイトショーをプロデュースする。
そこでエンタテインメントの真髄に触れ、人間を徹底的に楽しませるエッセンスを体験する。
・ギタリストを志し、夜の世界で弾き語りをやる。酒とバラと男女、人間の本能と対峙する。
・20代前半俳優養成所に入り、演技の勉強をする。
演技に必要な心と体の解放についてスタニフラフスキー・メソッド(ジェームズ・ディーンなどが学んだ演劇論)などを通して学ぶ。
・商工会、大手会計事務所に従事(1981年~1993年)し、コンサルティング、ファイナンス(財務)をてがける。
約800社の中小零細規模の経営者のハートにじかに触れ、その本音(ニーズ)と実体を知る。
目先の利益に翻弄され続ける経営者の多さに驚愕する。
・心と身体が気づかない間に壊れ、修羅場ゾーンに入る。
・ひょんなことから豚、鶏、牛の世話をするはめになり、
そのショッキング゙な体験をきっかけに“こころと身体”の探求を本気で始める。
・それを機に初期仏教、心理学、脳科学、NLP、エネルギー・セラピー、武道、コーチング、ヨーガ、インド哲学、古神道、言霊学(コトタマノミチ)などを通して、心の純化法、鎮魂法、祓いを学ぶ。
・“人間研究所”〜ヒューマン・ハーバー(1995年~)を開所。
「人生は心の純度で決まる!」をテーマにしたこころ、マインドの解放トレーニング&セッション、
コンサルティングを行う。
・また、武道にも関与し現在も修行を続けている。
<資格等>
・Speed Coaching Japan Coacing Training Basic Course 認定
・公益財団法人静岡県産業振興財団経営支援アドバイザー
・静岡市中小企業支援センター専門家
・弓道、居合道計八段
・国際ロゴシスト(言霊師)協会会員
・宗教法人テーラワーダ仏教協会会員
<完全に自由な人生へのプログラム>
<私が体験・体感した違う世界・次元>
そもそも私がなぜこのようなプログラム、
つまり「完全に自由自在な人生への誘い」をやるのか、、、
そして、それをシェアしようとするのか、、、
その辺について書いてみたいと思います。
実は、私の中で衝撃的な体験が3度ほどあります。
この体験を体感することで、
私たちが見ている世界、
私たちが認知している世界、
そういったものとはまったく違う世界を味わいました。
1度目の体験は、臨死体験と呼ばれているものでしょう。
小学校5年か6年の夏でした。
川で遊んでいて溺れたのです。
実は溺れるふりをして溺れてしまったのです。
何度もその場所で遊び、
とても溺れることないような場所だったのですが、
溺れてしまったのです。
どうしても、どんなことをしても、
川の底から浮かび上がることが、
できなくなってしまったのです。
水は当然のように飲むし、
もちろん息ができるわけないし、
そんな苦しみにもがいていました。
それを繰り返すうちに、
意識はどんどん遠のいて行きます。
気が遠くなっていきます。
すると、“死”という言葉が、
浮かび上がってくるのです。
素朴な疑問の声が聞こえてきました。
「もうすぐ死ぬのかな?」
それが、少したつと、、、
「もう死ぬんだ、、」
という声に変わってきました。
と、同時に意識が消えるのが分かりました。
その瞬間です。
世界が変わってしまったのです。
これまでの苦しみの世界が、
すっと消え去ったのです。
そして、輝く世界が現れたのです。
キラキラした光に満ちた輝く世界が、
私の世界に現れたのです。
意識が消えたはずの私の世界に。
さらに、呼吸も途絶えたはずなのに、
最高の気分になったのです。
これまでに体験したことない安堵感。
何か温かいものに包まれている、
とても平和な心持ち。
今、思えばその時の状態こそ“至福”“安寧”だったのです。
それは恍惚感とも言えるでしょう。
もしかしたら、その時の状態は、
母の“子宮”の中の状態だったのかもしれません。
これが1回目の体験です。
2度目は、、、
中学校2年か3年の時です。
その時私は弓道をやってました。
なぜか弓の世界にとても強く惹かれていました。
弓ははじめての経験だったのですが、
とても懐かしく、とても愛おしく、
とても心が透明になる、
そんなことがこみ上げてきて、
とても不思議に思ったのを記憶してます。
朝早く、道場に行きことが楽しみで、
授業が始まるまでの早朝稽古を、
ひとりだけでよくしました。
そんなある朝のことです。
いつものように道場で、
ひとり弓を引いていた時に、
起こったのです。
突然、“透明な意識・感覚”に包まれたのです。
言葉に現せばそんな感じです。
そして、まわりの世界が輝き出したのです。
すべてが輝き出したのです。
その体験や体感は、
溺れて臨死の状態になったあの時と同じでした。
これが2度目です。
そして、3度目は大人になってから、
私が32歳か33歳頃のことです。
ある1週間の合宿会(リトリート)に参加した時のことです。
目が覚めている間はずっと自己観察を行います。
自分のこころを観察し続けます。
時計から離れ、
世間から離れ、
家族から離れ、
仕事から離れ、
ひとりの自分という世界に浸り、
そして、自分の深奥へ真摯に向かう。
そんなことを24時間繰り返す合宿です。
そして、それは時空間を超えたところで起こったのです。
強烈な衝撃が走りました。
それは、心にも身体にも脳にも大変な衝撃でした。
私の中の“何か”、、、今ではその“何か”が明らかに理解できますが、、、
その何かがスットンと落ちたのです。
落ちたのです。
落としたのではありません。
勝手に落ちたのです。
同時に涙が全身からあふれ出ました。
涙は目からだけ出るものではなく、
全身から出るものだというのが分かりました。
そして、同時に現れたのです。
光が、白い光の柱が私を貫き、
あふれ出し私を包んだのです。
その時の私の状態も、
あの、川で溺れて臨死になった時と同じだったのです。
これが3度目の体験です。
この時はじめて、3度にわたりかなり衝撃的な体験をしていることに、
改めて気づくのですが、
まだこの段階では体験・体感だけのものであり、
こういった世界が完全に“理解”できるものではありませんでした。
体験・体感が私の中で先行したのです。
そして、それを機に“理解”を求めて、
スピリチュアルな世界、こころの世界、の探究が始まったのです。
ブッダのダンマ(法・真理)の理解につながっていくのです。
それは、まさに何かに引き込まれるように、
強力な引力のもとはじまったように思います。
そして、今では私の中で私のこのような体験と、
それに対する“理解”が一致しているのです。
理解につながったのです。
ブッダのダンマ(法・真理)の理解、体験につながったのです。
だからこそ、このようなプログラムをシェアしようと思ったのでしょう。
不思議なことですが、3度目の体験の後、
今私がやっていることをやりたいという意志が、
降りて来たのです。
それまでは一度も思ったことはなかったことです。
“真の幸福”“安寧”そういった世界につながるためには、
体験・体感することが必須のことです。
そして、そういった世界があるということも、
私自身体験・体感しているし、
それは今でも変わることなく、
私の中に存在し続けています。
だからそういった世界はある、と私は言えるのです。
ただし、世界というと何か別の“世界”があるように思われますが、そうではありません。
言葉で表すとすれば“世界”となるのです。
私たちが当たり前だと観ているこの世界を超えた“次元”と言えるでしょう。
しかし、知識、情報などで、その世界を味わうことはできません。
どんなにあなたが知識人でも、どんなにその手の本を読んでも、
それはできません。
体験・体感は知識ではないのです。
私が今こうしてこのプログラムをシェアしようとしているのも、
私の体験・体感そして理解というプロセスがあったからです。
そして、何より、、完全に自由自在な世界、
“真の幸福”の世界、完全に安らかなの世界、
そういったものを味わって欲しいからです。
今、見ている世界ではない、
もっと透明で輝く世界・次元にシフト欲しいからです。
ブッダのダンマ(法・真理)がそこへ確実に導いてくれるのです。